ことしは雨の多い花見どきですが、いかがお過ごしでしょうか。
京都は桜の見どころもいっぱいですね。
賀茂川の桜。何処も見事ですが、毎年見に来るのは上賀茂橋から北の堤防沿い、桜のトンネルです。
北山橋から北大路橋まではすこし時期をずらして枝垂が咲き、
出町辺りの景色もまた格別。
出町橋から葵橋を眺めると、遠くに北山が重なり絵のような風景。
出町といえば、いまは北野の七本松通にありますが、元は出町にあった立本寺(りゅうほんじ)も桜の見どころ。
境内は桜の木がいっぱい!
日蓮宗の本山寺院としての歴史は相当なものですが、となりの公園では子供たちの遊ぶ声がして、町中のお寺らしく散歩がてら花見にやってくる、そんな庶民的な雰囲気です。
雨あがりに足をのばして、宇多野まで出かけました。
桜守として知られる佐野藤右衛門さんのお庭は、桜の頃、一般に公開されています。
いったい何種類あるのでしょう、さまざまな桜!
名前が書かれています。
「永源寺」「大提灯」「胡蝶」
「鷲尾」「御信」「白妙」「御室有明」
そして「佐野」!
まだまだたくさんあります…。
それぞれの個性を誇って可憐に咲く花、花、花。
ここまで来た甲斐がありました。
花に誘われ花を追いかけるうち、早くも春の祭が始まります。
4月の第二日曜は「やすらい祭」。
紫野の今宮神社では、「川上やすらい」と「上野やすらい」が、氏子地域を練り歩いたあと、午後三時頃に到着、やすらい踊を奉納されました。
「やすらい」は、花が散り始める頃、花の精にのって疫神が飛散するのを鎮めるために行われる祭。
紫野辺りでは古くから疫病が流行ると御霊会が営まれていました。
「やすらい」はお囃子や歌舞によって疫神を風流傘(ふりゅうがさ)に集め、神威を仰いで疫社(えやみしゃ)に送り込むのだそうです。
「川上やすらい」は西賀茂の川上大神宮のお祭。踊りは太鼓を上に振り上げるようにして叩く力強いもの。
そして「上野やすらい」も到着しました。
本殿、疫社に参拝、やすらいを奉納。
ただし、たいへんな人で場所を動くことができず、これは見られませんでした。
今宮神社の疫社の神紋は八坂神社と同じ、五瓜の紋。ご祭神も同じくスサノヲノミコトです。今日も祇園祭と同じ「蘇民将来子孫也」の人形(ひとがた)護符が授与されていました。
さて、場所を移され、やすらいを堪能!
お囃子の笛や歌に合わせて、赤毛、黒毛の鬼が鉦や太鼓を奏し踊り、散りかけた桜の花びらが時おり風にはらはら舞い、ほんとうに花鎮めの祭やなあと感激です。
やすらい祭は京中の祭のさきがけで、やすらいがお天気なら、その年の祭はみな好天に恵まれると言われています。今日はすっきり晴れました。
さて、夕方は玄武神社のやすらい祭「玄武やすらい花」を。
玄武神社のご祭神は、惟喬(これたか)親王。
平安時代、文徳天皇の第一皇子でありながら天皇にはなれず、不遇の生涯を送られました。
玄武は北方の守護神、その姿が亀に蛇がまつわることから「亀の宮」とも呼ばれています。
予定よりずいぶん遅れて三基の花傘がもどってきました。
花籠を載せているので鳥居をくぐるのにもひと苦労。(笑)
ですが、待ったかいあって、ぶつかりそうになりながらぶつからない?ダイナミックな踊りを見ることができました。
玄武やすらいは、往時この地に栄えた旧雲林院の祭に端を発するといわれます。
ご祭神の惟喬親王や親王をお祀りした人々の御霊を慰めるものでもあるのでしょう。
毎年耳にするこのお囃子と歌、その激しい踊りと相俟ってどこか哀しげな響きも感じられます。
やすらいの由緒にまつわるお話はとても書ききれませんので、いずれまた清遊講座をおたのしみに!(笑)
そして「やすらい」はもう一つ、5月15日に行われる上賀茂地区のやすらい祭があります。
ご紹介できませんので代わりに、4月10日に行われました上賀茂さんの摂社・大田神社の春祭の「ちゃんぽん神楽」をごらんください。うまく撮れていませんがご容赦ください。
雨の降るなか、神寂びた社でお神楽が奏され、それはそれは清浄な気に満ちていました。
そんなこんなで花や祭を追いかけ浮かれているうち、はや今月も半ば。
大田の沢にかきつばたが見られるのももうじきです。