来たる2013年、どうか良い年でありますように。願いを込めて、今年から来年の巳歳につながる京都をめぐってみましょう。
今年は「古事記編纂千三百年」でした。
はじめにご紹介しますのは梅宮大社(うめのみやたいしゃ)です。
四条通りを西へ向かい、「梅津車庫前」を過ぎると北へ。四条通りに面していないせいか、ふだんは静かなところです。
けれどここは平安京以前からの由緒をもつ古社。
◇梅宮大社─
梅宮大社は橘氏の祖、橘諸兄(たちばなのもろえ)の母・縣犬飼三千代(あがたのいぬかいのみちよ)が山城国綴喜(つづき)郡井手にお祀りしたのが始めとされ、のちに嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子(たちばなのかちこ 檀林皇后)によってこの地に祀られました。
酒造の神さま、子授けの神さまとして知られる神社です。
ここで「古事記」をひもといてみましょう─
木花開耶姫 堂本印象筆 (堂本印象美術館)
天照大神(アマテラスオオミカミ)の命により、高天原に降り立った天孫・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)は、九州・笠沙の海岸で美しい木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)を見初めました。
ニニギは木花開耶姫の父・大山祇神(オオヤマツミノカミ)に姫との結婚を願い出て、結ばれ、やがて火遠理命(ホオリノミコト=山幸彦)ら三人の御子神が生まれます。
父の大山祇神はこれを喜び祝って、「天舐酒(あめのたむざけ)」を造られたと。
これが日本で酒を醸した始まりであると伝わっています。舐酒とは甘酒であったそうです。
梅宮大社では、
・酒解神(サカトケノカミ=大山祇神)
・酒解子神(サカトケゴノカミ=木花開耶姫)
・大若子神(オオワクゴノカミ=瓊瓊杵尊)
・小若子神(コワクゴノカミ=彦火火出見尊=山幸彦)
の四柱がご祭神として祀られています。
上の絵の中にお顔を隠しておられるもう一人の姫神・磐長姫(イワナガヒメ)は木花開耶姫のお姉さんです。
じつはニニギノミコトが木花開耶姫を望まれたときに、大山祇神はこの磐長姫も一緒に嫁がせたのですが、ニニギは木花開耶姫だけを望まれ、磐長姫を返されました。
大山祇神は、木花開耶姫のように栄え、磐長姫のように永い命を持つようにと瓊瓊杵尊に二人を嫁がせたのですが、それがかなわず、それゆえニニギノミコトやその子孫、すなわち日本の天皇の命は永遠ではなくなったといわれます。
大山祇の神は山の神。そして娘の木花開耶姫は火の中で無事に出産したことから、山と火を司る神として富士山を賜ったとされ、富士浅間神社のご祭神として祀られています。
一方、縁に恵まれなかった磐長姫は、京都の北、貴船神社の結(ゆい)の社に縁結びの神となって祀られています。
◇ふたたび梅宮大社─
梅宮大社では、木花開耶姫の木花は梅花とされ、境内には、約40種の梅が植えられています。
本殿の屋根は橘。橘氏に深くかかわる社ゆえ。
お守りも橘の紋入り。
梅は「産め」に通じます。
子授け祈願の「またげ石」。
絵馬は酉の日に醸す水=酒をあらわしているのでしょう。
ここには神苑があります。
楼門をくぐると前に広がるのはその名も「咲耶池」。
まわりは梅・桜・かきつばた・あじさいなどが植えられた苑路になっています。
花咲く春が楽しみです。
鯉もたくさん。橋の上で餌をやると大勢やってきてびっくりです!
向こうに茶室も見えます。
梅津の里は王朝時代には貴族の別荘が多くあったところだそうで、大納言源経信(みなもとのつねのぶ)が梅津の源師賢(みなもとのもろかた)の山荘を訪れ、辺りの風景を詠んだ歌が知られます。
「夕されば門田の稲葉訪れて 芦のまろ屋に秋風ぞ吹く」
茶室「池中亭」は、この風雅な屋根をもつ「芦のまろ屋」の昔の姿をとどめる茶室といわれます。
歌は百人一首にもとりあげられ、藤原定家の筆になる石碑も立っています。
梅宮大社のご祭神はファミリーの四柱が祀られていましたが、木花開耶姫をご祭神にお祀りしているのが、敷地神社。通称「わら天神」です。
◇敷地神社(わら天神)─
お詣りしたら、上を見上げてください。よく見ると妻飾りがなかなかいいのです。
安産祈願で有名な神社ですが、木花開耶姫の由緒からつくられたのが、笹屋守榮の銘菓「うぶ餅」。
かわいらしい包装で、甘酒入りというのが肝心。
大山祇神が醸したのは甘酒でした。
九のつく日と犬の日は境内に茶店が設えられ、うぶ餅をいただくことができます。
笹屋守榮はわら天神のすぐ近くにあります。
さて、お酒といえば松尾の神様にも詣でねばなりませんね。梅宮大社からさらに西へ。桂川を渡ると松尾大社です。
◇松尾大社─
12本の榊の小枝は月々の作物の出来を占ったとか。閏年は13本さげられます。
「賀茂の厳神、松尾の猛霊」といわれ、カモ社とならび称された古格を誇るお社。
松尾山を背に、両流れ造りの屋根が美しい社殿。
松尾の神は松尾山の磐座に降臨したと伝わります。
ご祭神は大山咋神(オオヤマクイノカミ)。
もう一柱は中津島姫命(なかつしまひめのみこと)。別名、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。
大山咋神(オオヤマクイノカミ)は山の神様ですが、秦氏の崇拝していた氏神であり、醸造の神、日吉の神として知られます。
市杵島姫命は、多紀理比売命(タギリヒメノミコト)、多岐都比売命(タギツヒメノミコト)とともに宗像三女神(むなかたさんじょしん)の一番末の姫神。
宗像三女神は、素戔嗚尊(スサノヲノミコト)と天照大神が誓約(うけい)をされたとき、スサノヲの剣から生まれた三姉妹の神々。
海上交通の平安を守護する玄界灘の神。宗像大社や厳島神社に祀られます。
末っ子の市杵嶋姫命はもっとも美しいとされ、記紀神話において代表的な海上神です。
宗像三女神 (やよい文庫)
木花開耶姫といい、市杵島姫命といい、美人の神様なんですね!
松尾大社については、いつか堤先生に講座でじっくりお話していただくこととして…。
京都の酒造りにとって松尾大社はじつはとっても大切な神様です。
酒造りに関わる人々は必ず境内の亀の井の水をいただいて酒に入れ、醸造祈願をします。11月に「上卯祭」、4月に「中酉祭」が営まれます。
水の神様を祀る瀧御前社。鳥居の向こうに天狗の顔らしいものが浮かぶのですが、わかりますでしょうか?
じっくりさがしてみてください。これは近年有名になった話だそうです。
さて、市杵島姫命つながりで、河原町五条の近くにあります「市比賣(いちひめ)神社」にまいりましょう。
◇市比賣神社─
平安京の官営市場であった東市・西市の守護神として創建された市比賣神社は、現在も京都中央卸売市場に末社があります。
市場守護と、あわせて、現在は女人守護の神社です。一願成就の井戸「天之真名井」があり、この水は歴代天皇の産湯に用いられたと伝わります。
皇族・公家が生後五十日目には五十日餅を授かり、お食べ初め発祥の神社ともされています。
ご祭神は五柱。
・市寸(杵)嶋比売命ほか宗像三女神(むなかたさんじょしん)。
・神大市比売命(カムオオイチヒメノミコト)…スサノヲノミコトと結婚。
・下光(照)比売命(シタテルヒメノミコト)…大国主と宗像三女神の一番上のタギリヒメノミコトの間の娘。母子でお祀りされていることになります。
いずれも女の神様です。良縁・子授け・安産・厄除け。女性にとってはオールマイティの神様。
可愛らしい「姫みくじ」はお守りとして持ち帰っても良し、願い事を書いて奉納しても良し。
使わなくなったカードを納める「カード塚」は現代の生活にマッチしています。
カード形の「カード守り」もあるのです。
この日も参拝者が途絶えることなく訪れていましたが、お詣りして神社を出られるときの顔はどの顔も晴々としていました。
さて、市杵島姫命ですが、この神様は七福神のひとり、弁財天(弁才天)と同一視されることがあります。
弁財天はヒンドゥ―教の女神サラスヴァティー(河神)が日本に来て習合された神様です。
なるほど、弁財天は水に関係するところ─島、池、泉などにお祀りされることが多いですね。寺院の池中の島にはよく弁天さまが祀られています。
名水のある八坂神社の本殿裏にも厳島社が祀られていました。
厳島神社 文字がハート形?
市杵島姫命は海の神様ですから、弁財天やサラスヴァティーと習合していったことがうなずけます。
そして弁財天のお使いは巳(蛇)。巳成金(みなるかね)といって最初の巳の日は弁財天に詣るのだそうです。
ここでいよいよ「妙音弁財天」を祀る「出町 妙音堂」に到着です。
◇出町妙音堂─
妙音堂は昔、琵琶をもって宮中に仕えた西園寺家のゆかりを伝え、「京都七福神」のひとつとなっています。
巳さんがお祀りされていますね!
水の流れる音はすなわち妙音。妙音は音楽、技芸に通じ、弁財天は音楽や芸能に携わる人々の守り神ともなりました。
琵琶を奏でる優雅な弁財天は女性の憧れかもしれませんね。
才は才能、財は財産。
弁財天は福徳を授ける神様ともなり、江戸時代には大いに流行したそうです。
弁財天と巳さんがたくさん奉納されています。
こちらは「都七福神」のひとつ、六波羅蜜寺の福寿弁財天。
同じく六波羅蜜寺には銭洗い弁天も知られています。「京の七福神」の弁財天は三千院。天龍寺の「七福神」めぐりでは、慈斎院が弁財天です。
ことしの木花開耶姫から、「美女つながり」で巳年詣りのご案内(になりましたかどうか?)にたどりつきました。
京に祀られる女神さま。そのパワーをいただいて、来年もみなさまと共に元気に活躍できますように!
今回は、先日、JEUGIAカルチャーKYOTOでお話させていただきました「ビギナーのとっておき京都ガイド 京の初詣 美女祈願」から引用してのブログとなりました。1月は「和菓子事始め」を予定しています。(第3火曜夜7時~)ご興味がおありの方がございましたらどうぞお越しくださいませ。
今年も清遊ブログをご覧いただきありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします!
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