11月に入り、いよいよ秋も深まってきました。
京の北郊、鷹峯・源光庵では薄や色づき始めた紅葉がやわらかな景色を見せています。
さて和菓子好きにとっては11月といえば「亥の子餅」。
先日、二条通り寺町東入の京料理「二條 ふじ田」に出かけ、美味しいお料理の最後に出されたのが今年初めての「亥の子餅」でした。
ほかには光琳菊の薯蕷饅頭と可憐な桔梗をあらわした外郎製。
秋の到来を感じさせる和菓子です。
(いずれも二條若狭屋製)
亥の子餅はほかにくらべて地味なお菓子ですが、じつは京都ではこの時季のたいせつなお菓子です。
平安時代に遡りますが、陰暦10月の亥の日、禁裏では御玄猪(おげんちょ)の儀式が行われていました。
御玄猪の式は、10月(亥の月)の亥の日に行われ、無病息災と、猪の多産にあやかり子孫繁栄を祈ったもので、天皇から官人に餅を賜わる行事でした。
餅は、赤、黒、白の三色で、官位によって餅の色や数が決められ、紙に包み、初めの亥の日には菊の葉を、中の亥の日には紅葉の葉を、下の亥の日には銀杏の葉を添え包んで下賜されたといいます。
玄猪包香合 中村帆蓬画
江戸時代の陶工で優れた芸術家でもあった仁清が
玄猪包の意匠を香合に見立てたもの。
餅は、大豆・小豆・大角豆(ささげ)・胡麻・栗・柿・糖(水あめ)の7種の粉で作ったといわれ、現在、玄猪の餅に由来する亥の子餅は京の和菓子屋ではそれぞれに中身を工夫して作られています。
11月1日、京都御所の西向かいにある護王神社では亥子祭が営まれ、亥の子餅を舂(つ)く神事が古式にのっとり行われます。
護王神社亥の子祭 御舂(おつき)の儀
御玄猪調貢の儀 御所の清所門にむかう。
護王神社では狛犬のかわりに狛いのししが相対しているのをご存じの方も多いでしょう。
護王神社は和気清麻呂(わけのきよまろ)と姉の和気広虫(ひろむし)がお祀りされていますが、ちょっと由緒をひもといてみましょう。
奈良時代末、称徳天皇は弓削道鏡(ゆげのどうきょう)という僧に信頼を寄せ、天皇の位を譲ろうとされました。そして宇佐八幡宮のご神託を受けに清麻呂をお遣わしになりました。
しかし清麻呂は、皇位には皇族をあてるべしとの神託を上奏したのです。
道鏡の野望から皇統を守護した清麻呂はそのため道鏡の怒りにふれ、穢麻呂(きたなまろ)と名を変えられ、足の腱を切られ大隅国(鹿児島県)に流罪となりました。
大隅に向かう途中、宇佐八幡に立ち寄ろうとすると、どこからか現れた三百頭のイノシシが清麻呂の輿を守り、宇佐へ清麻呂を無事に送りとどけました。
そして宇佐に着いた時には清麻呂の足も平癒していました。この故事にちなみ猪が神使となったといわれています。
和気清麻呂はのちに復権し、桓武天皇のもと平安京の造営大夫となって活躍しました。
清麻呂の御廟は高雄の神護寺にありますが、明治になって御所の西の現在の地に護王神社として遷座されました。
神護寺の和気清麻呂公廟所
護王神社の清麻呂像
また洛西の愛宕山に鎮座する愛宕神社も猪を神使としています。
社殿や鳥居に彫り物が見られ、神仏習合時代には勝軍地蔵と摩利支天をお祀りしていました。
摩利支天は日月の光を神格化したもので、天女の姿で足元に猪を踏んでいることから神使となったとされます。
摩利支天 一切の災難を除き、身を隠す術を得ると信じられ、
武士の守護神としても崇められられた。
11月亥の日に行われる例祭では火難除けと子女の良縁があるよう祈り、家では萩の餅を配り、炬燵(こたつ)開きを行ったといいます。この日に炬燵を開けると火難を免れるのだそうです。
愛宕さんの「火迺要慎」(ひのようじん)の祠符は京都のどこの家にも台所などに貼って火難除けとされ、京都で火伏せの神様といえば愛宕さんということになります。
また萩は樒(しきみ)とともに愛宕山の名物とされ、「萩に猪」は愛宕さんにとって欠かせないものでありました。
「獅子に牡丹」と同様に「萩に猪」は今では花札に見られるくらいではないでしょうか。
堀川寺ノ内の本法寺は静かな佇まいの寺院ですが、近辺にも宝鏡寺や表千家、裏千家などの茶家があり、しっとりした雰囲気を味わえるところです。
本法寺の向かいは裏千家、そして表千家があり、内弟子さんや着物姿の女性などお茶にかかわる人たちが行きかいます。近辺には職家、茶道具屋、和菓子屋、和傘や和装の店などがあり、京都らしさが感じられる場所でもあります。
11月は茶家では風炉をしまい、炉を開く炉開きの時季となります。
また春に新茶を詰めて保管しておいた茶壺の封を開ける「口切」(くちきり)にあたり、口切や炉開きの茶事、茶会が行われます。茶の湯の世界ではまさにお正月ともいえる行事です。
この口切や炉開きの茶によく出されるのが亥の子餅。
茶の湯にことよせて千家の近くにあります茶道具店、平松栄祥堂で猪にちなんだお道具を見せていただきました。
安南写 猪香合 久世久宝作
膳所焼 猪の画茶碗 岩崎新定作
お茶碗のなかでいのししが駆けているようですね。
栗の絵のお茶碗でお茶をいただき…。
紅葉のお茶碗も拝見し─
こんな錦繍の景色ももうすぐですね!
仁清写 永楽即全造
これが今日の眼目??(笑) 鍵甚の亥の子餅。
まるで瓜坊の背のようなお餅のなかにはなんと柿、栗、銀杏が入っています!
亥の子餅には肉桂が入っていることが多いのですが、肉桂の香りはなく、胡麻の風味とあっさりしたこし餡が中身を引き立てていました。一風変わった亥の子餅ですが秋の木の実が現代風です。
亥の日に亥の子餅をいただき、今日の取材は終了となりました。
美味しいものをいただける幸せ。そしてこんな楽しい町歩きができる幸せ。
秋の空気をいっぱいに吸って、快復した足で、また京の町を元気に歩ける喜びをかみしめた一日でした。
京の北郊、鷹峯・源光庵では薄や色づき始めた紅葉がやわらかな景色を見せています。
さて和菓子好きにとっては11月といえば「亥の子餅」。
先日、二条通り寺町東入の京料理「二條 ふじ田」に出かけ、美味しいお料理の最後に出されたのが今年初めての「亥の子餅」でした。
ほかには光琳菊の薯蕷饅頭と可憐な桔梗をあらわした外郎製。
秋の到来を感じさせる和菓子です。
(いずれも二條若狭屋製)
亥の子餅はほかにくらべて地味なお菓子ですが、じつは京都ではこの時季のたいせつなお菓子です。
平安時代に遡りますが、陰暦10月の亥の日、禁裏では御玄猪(おげんちょ)の儀式が行われていました。
御玄猪の式は、10月(亥の月)の亥の日に行われ、無病息災と、猪の多産にあやかり子孫繁栄を祈ったもので、天皇から官人に餅を賜わる行事でした。
餅は、赤、黒、白の三色で、官位によって餅の色や数が決められ、紙に包み、初めの亥の日には菊の葉を、中の亥の日には紅葉の葉を、下の亥の日には銀杏の葉を添え包んで下賜されたといいます。
玄猪包香合 中村帆蓬画
江戸時代の陶工で優れた芸術家でもあった仁清が
玄猪包の意匠を香合に見立てたもの。
餅は、大豆・小豆・大角豆(ささげ)・胡麻・栗・柿・糖(水あめ)の7種の粉で作ったといわれ、現在、玄猪の餅に由来する亥の子餅は京の和菓子屋ではそれぞれに中身を工夫して作られています。
11月1日、京都御所の西向かいにある護王神社では亥子祭が営まれ、亥の子餅を舂(つ)く神事が古式にのっとり行われます。
護王神社亥の子祭 御舂(おつき)の儀
御玄猪調貢の儀 御所の清所門にむかう。
護王神社では狛犬のかわりに狛いのししが相対しているのをご存じの方も多いでしょう。
護王神社は和気清麻呂(わけのきよまろ)と姉の和気広虫(ひろむし)がお祀りされていますが、ちょっと由緒をひもといてみましょう。
奈良時代末、称徳天皇は弓削道鏡(ゆげのどうきょう)という僧に信頼を寄せ、天皇の位を譲ろうとされました。そして宇佐八幡宮のご神託を受けに清麻呂をお遣わしになりました。
しかし清麻呂は、皇位には皇族をあてるべしとの神託を上奏したのです。
道鏡の野望から皇統を守護した清麻呂はそのため道鏡の怒りにふれ、穢麻呂(きたなまろ)と名を変えられ、足の腱を切られ大隅国(鹿児島県)に流罪となりました。
大隅に向かう途中、宇佐八幡に立ち寄ろうとすると、どこからか現れた三百頭のイノシシが清麻呂の輿を守り、宇佐へ清麻呂を無事に送りとどけました。
そして宇佐に着いた時には清麻呂の足も平癒していました。この故事にちなみ猪が神使となったといわれています。
和気清麻呂はのちに復権し、桓武天皇のもと平安京の造営大夫となって活躍しました。
清麻呂の御廟は高雄の神護寺にありますが、明治になって御所の西の現在の地に護王神社として遷座されました。
神護寺の和気清麻呂公廟所
護王神社の清麻呂像
また洛西の愛宕山に鎮座する愛宕神社も猪を神使としています。
社殿や鳥居に彫り物が見られ、神仏習合時代には勝軍地蔵と摩利支天をお祀りしていました。
摩利支天は日月の光を神格化したもので、天女の姿で足元に猪を踏んでいることから神使となったとされます。
摩利支天 一切の災難を除き、身を隠す術を得ると信じられ、
武士の守護神としても崇められられた。
11月亥の日に行われる例祭では火難除けと子女の良縁があるよう祈り、家では萩の餅を配り、炬燵(こたつ)開きを行ったといいます。この日に炬燵を開けると火難を免れるのだそうです。
愛宕さんの「火迺要慎」(ひのようじん)の祠符は京都のどこの家にも台所などに貼って火難除けとされ、京都で火伏せの神様といえば愛宕さんということになります。
また萩は樒(しきみ)とともに愛宕山の名物とされ、「萩に猪」は愛宕さんにとって欠かせないものでありました。
「獅子に牡丹」と同様に「萩に猪」は今では花札に見られるくらいではないでしょうか。
摩利支天は禅宗や日蓮宗の寺院にも勧請されています。
東山建仁寺の禅居庵、西陣の本法寺には摩利支天堂がありますね。ほかにももっとあるでしょう。
堀川寺ノ内の本法寺は静かな佇まいの寺院ですが、近辺にも宝鏡寺や表千家、裏千家などの茶家があり、しっとりした雰囲気を味わえるところです。
本法寺 楼門
本法寺境内 現在本堂修理中のためお庭は見学できませんが、多宝塔建築や開山堂、
本阿弥光悦手植えの松、長谷川等伯像などを見ながら散策を楽しめます。いいところです!
本法寺を出るとお向かいは裏千家。軽快な屋根の兜門が見えています。
裏千家今日庵
本法寺の向かいは裏千家、そして表千家があり、内弟子さんや着物姿の女性などお茶にかかわる人たちが行きかいます。近辺には職家、茶道具屋、和菓子屋、和傘や和装の店などがあり、京都らしさが感じられる場所でもあります。
11月は茶家では風炉をしまい、炉を開く炉開きの時季となります。
また春に新茶を詰めて保管しておいた茶壺の封を開ける「口切」(くちきり)にあたり、口切や炉開きの茶事、茶会が行われます。茶の湯の世界ではまさにお正月ともいえる行事です。
この口切や炉開きの茶によく出されるのが亥の子餅。
茶の湯にことよせて千家の近くにあります茶道具店、平松栄祥堂で猪にちなんだお道具を見せていただきました。
安南写 猪香合 久世久宝作
膳所焼 猪の画茶碗 岩崎新定作
お茶碗のなかでいのししが駆けているようですね。
栗の絵のお茶碗でお茶をいただき…。
紅葉のお茶碗も拝見し─
こんな錦繍の景色ももうすぐですね!
仁清写 永楽即全造
さてさて、亥の日には建仁寺の塔頭、禅居庵にお参りしました。
何を隠そう、じつは亥歳生まれなのです。
摩利支天堂
参道には山茶花がたくさん咲いていました。
お参りのあと、近くの鍵甚良房へ。
これが今日の眼目??(笑) 鍵甚の亥の子餅。
まるで瓜坊の背のようなお餅のなかにはなんと柿、栗、銀杏が入っています!
亥の子餅には肉桂が入っていることが多いのですが、肉桂の香りはなく、胡麻の風味とあっさりしたこし餡が中身を引き立てていました。一風変わった亥の子餅ですが秋の木の実が現代風です。
亥の日に亥の子餅をいただき、今日の取材は終了となりました。
美味しいものをいただける幸せ。そしてこんな楽しい町歩きができる幸せ。
秋の空気をいっぱいに吸って、快復した足で、また京の町を元気に歩ける喜びをかみしめた一日でした。